10月20日(土)、板橋区民まつり開催日の清々しい秋晴れの日。
姉妹サークルの保育支援ネットワークキャンネットの勉強会がありました。
テーマは以前、学ぼう会でも実施しました
『助けられ上手さんになろう』です。
NPO法人健やかネットワーク の理事、佐々木さんを招き、
参加者、ひとりひとりが『助け・助けられ』を考えるワークショップです。
キャンネットは、まだ子育て真っ最中の方から、お孫さんがいらっしゃる方まで、幅広い世代の方々がいらっしゃるのですが、みなさん本当にあたたかくてエネルギッシュで、楽しい方ばかりです。
『助け』『助けられ』度数をチェックしたり
『助けられ上手』度を確認しながら、
自分の中の『助け』『助けられ』、社会の『助け』『助けられ』を考えました。
だれでも『助けて!』と言われて「NO!」と言うような方は、ほとんどいませんよね。まして知り合いの方からのSOSなら、なおさらです。
では、逆は・・・出来るか?
日々の生活の中で、自分の心の中にたまった『苦しみ』や『辛さ』や『悩み』に、「助けて!」と手を挙げることができるでしょうか?
ここが、考えどころです。
『助け』v.s.『助けられ』の関係において、なんとなく発生する上下関係。
『助け』るほうが上で、『助けられ』るほうが下というような。
「助けて!」と手を挙げることは、自分の弱点や恥ずかしい部分を晒さなくてはならないこと。これを「迷惑をかけるのがいや」という言葉に置き換えて、それぞれの心の中に納めているのではないか…。
独りで戦えるなら…それでもいいかもしれません。
でも、相談者と回答者が同一人物では、答えはもちろん、突破口もなかなか見出だしにくいものです。いわゆる、自分の中の堂々めぐり・・・。
一方で、学ぼう会でもときどき行うグループワーク(複数で、ひとつのテーマについて意見を出し合ったりすること)。
グループワークは、実は「ただ、意見を言い合う」のではなく「他の人の意見を聞き、みんなの反応を知り、自分もみんなに反応する」ことによって、堂々めぐりの密室に風穴を開け、新鮮な風を送り、参加している人と一緒に「答えを探し合う」ことなのですが、こうなると、グループワーク自体が「助けあい」になっているな・・・と思います。
誰が助ける人で、誰が助けられる人でなく、ひとりひとりが「助け・助けられ」る人になっているんです。
定例会などで深~い話し合いになることがありますが、「これがスゴイんだよなぁ」と感じます。
キャンネットの勉強会でも、まさにそのような感じでした。
講師である佐々木さんが石を投げる。
その石について、みんなで意見を交える。
意見の中で、それぞれが思うことをキャッチして、
佐々木さんが総括としてまとめてくれる。
子育て真っ最中のお母さんは、
育児だけでなく、家庭のこと、家族のこと、ママ友のこと、、、
あらゆる人間関係の中に身を置いています。
それがすべて順風満帆という訳にはいかず、乗り越えなくてはなならない山や谷に遭遇します。それは誰でもそう。。
そんなとき『助けられること』の本当の意味を知ることができれば、
とても生きやすくなるのではないか?
そして、それを知ったお母さんは、子どもにも上手く『助けあい』を伝授できるのではないか?
「助けられ」ることは「助ける」ことにも通じていること。
助けられる人の気持ちを知れば助け方も変わってくること。
無理をして辛くなることなく、
心を開けば、通じあえることを知って、
『助け・助けられ』が信頼というカタチに変化したら
これこそ、すごーく気持ちの良い人間関係。
そんなことを考えながら、有意義な時間を過ごしました。
学ぼう会でも、またこのテーマで勉強会をしたいと思います。
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真規子 (金曜日, 28 6月 2013 12:07)
中3年の娘が一人います。学校で人間関係がうまくいかず悩み、それを見ている親もつらくて、壊れそうです。内容は、一緒にお弁当を食べてくれる友達がいない。友達ができたかと思ったらすぐハブられて一人になることが、繰り返しあります。さすがに娘も精神的に限界で、見ていて可哀想です。
okasan-manabo (金曜日, 28 6月 2013 17:51)
>真規子さま
コメントありがとうございます。お辛い状況ですね。お子さんが苦しんでいると母親としても同じく苦しく…。お気持ちを思うと、胸が詰まります。もし、お差し支えなければ、まずはメールでご相談ください。お役に立てることがあれば…と思います。
okasan.manabo@gmail.com