こんにちは。学ぼう会のおかもとです。
前回の記事で宣言したとおり、『最幸の子育て』というタイトルで連載を始めることにしました。
キリのいい3月1日を連載スタート日にします。(以降、更新を怠らないために毎週木曜日を更新日に設定します!)
この連載で当会の活動についても伝わるといいな…と思いますが、あえて意識せず、ありのままの心情を綴っていきます。
多くの方に読んでいただけるよう心を込めて書いていきます。
~もくじ~
『最幸の子育て』vol.1 みんな笑っていたい
ある日のできごとです。
私は近所のスーパーの食品売り場で夕飯の献立を思案しながら店内をうろうろしていました。事前にメニューを決めればよいのでしょうが、食事づくりは毎日のことです。自分は食欲がなくてもダイエットで控えたくても、家族のために毎日食事を作るわけで…、気が乗らないときはなかなか献立が浮かびません。
そんな時は、お買い得品から献立を決めたり、商品のパッケージ写真を見て献立がひらめいたりすることがあるので、目的がないまま店内を巡ることがよくあります。
ショッピングカートにカゴを置き、野菜コーナーをチェックして精肉コーナーへ向かおうと店の角を曲がると、お買い得品が並んだ陳列コーナーが目に入り、ちょうど買いたかったマヨネーズを見つけました。
(安っ!ラッキー!!)
ニヤリと笑いながらカートの持ち手にかけていた左手で小さなガッツポーズをすると、陳列を挟んで向かい側に人がいることに気づきました。その人と目が合って急に恥ずかしくなった私はうまく誤魔化そうとそのまま左手をマヨネーズに伸ばしました。
(いやぁお恥ずかしいことを…)
さっさと商品を取って、その場を立ち去ろうとしたその時です。いきなり背後から、
「なにやってるのっ!!」
と大声を張り上げる女性の声が飛び込んできました。
私は自分が何かマズいことをしたのかと思い、慌てて振り返り、「ごめんなさいっ!」と謝ろうとしました。私…何かやっちまった…?!
至近距離だったため声の主を見つけるには時間がかかりませんでした。彼女の視線をたどると足元に小さな男の子が立っています。3歳くらいでしょうか。手に小さなお菓子の袋を持っています。
女性は鬼の形相で男の子を睨んでいます。私は(ヒエ~ッ!)とおののきながらも自分が怒られたわけではないことを知って少しホッとして、マヨネーズを手に取り自分のカートの中に入れようとしました。
…すると、“バシッ”という物を叩く音、そして「ウワーン!!」と泣き叫ぶ男の子の声が店内に響き渡りました。近くにいた買い物客が一斉にこの母子に目を向けていることは私も気づきましたが、母親らしき女性は周囲には全く目もくれません。それどころか、さらに声を荒げて
「何を持ってきたの!! 勝手に行かないって言ったでしょ。そんなに欲しいなら店の子になりなさい!」
そう言って、プイッと反対を向いて男の子を置いて立ち去ろうとしました。男の子は「ヤダヤダ~!ヤダよ~!ワーーーン!!」とさらに声を張り上げ、女性の背後を追いかけます。
結局、私が買い物の清算を終えてスーパーから出るまでの間、ずっと店内には男の子の鳴き声が響き渡っていました。
帰り道、私はあのお母さんの心が(早く落ち着きますように…)と願いながら、目尻が上がったとても不機嫌そうな顔を思い出しました。
(本当はご機嫌に…穏やかに笑っていたいんだよね…)
彼女の苦しい心情が伝わってきました。
誰だって幸せな子育てがしたいはずです。
イライラしたりモヤモヤしたりクヨクヨするつもりなんて微塵もありません。
どうして、なぜ怒りや憤りで心の中が疲れ果ててしまうのでしょう。どうしたら心穏やかで幸せな子育てができるのでしょう。子育てを経験したことがある方ならだれもがこのもどかしい経験をしたことがあると思います。
私はかつて辿っていたあのお母さんと同じような道を思いながら、自分のこれまでの歩みを振り返りました。
子育てを通して自分も子どもも周りのみんなも幸せでありたい…。そんな願いは夢のまた夢なのだろうか…。なにか明らかな答えはないのか…。重い買い物袋を肩に背負い家までの道を歩きながら、私はこの問いに15年近くも向き合ってきたんだ…ということに気づきました。
東京都板橋区で子育て支援団体の『「おかあさん」を学ぼう会』を立ち上げたのは2011年です。当初は、子育てや家族関係に関する悩みや不安を共に学び合うことで減らしていこうという目的で教育に関する専門家を招いたりすることが活動の中心でした。以来、いろいろなご縁が繋がり、現在はお母さん自身が自分の内面に徹底的に向き合う『ココサポ・プログラム』というワークショップを中心に行っています。
会の活動を始めた頃、まだ幼かった娘は成人し自分の人生を歩き出しました。お母さんという役割としては一旦の卒業を迎え、新しい家族の形に進化?(笑)したように感じます。
娘の20歳の誕生日。
私と夫はそれぞれ娘から手紙をもらいました。文面を辿りながら自分のこれまでを振り返り、自分が「親も子も幸せな子育て」を模索し続けていたのは、子ども時代に得られなかった親子関係を我が子の間で叶えたいと思っていたからだということが分かりました。
親は大人…と社会では認識されますが、結局、人は子どもの頃の心と育ちの過程に刻まれた信念価値観、思い込みによって形成されたコアパーソナリティーに大きく影響されてしまいます。(世の中では“インナーチャイルド”と言われますが、この言葉はアダルトチルドレンに紐づいている言葉で狭義的に捉えられがちなので、誰にでも在るという意味で『コアパーソナリティー』ということにします)年齢は成人をとうに過ぎても、感情や思考の核は子どもの頃の自分に由来して、コアパーソナリティーによって人生が導かれていくことも分かりました。
コアパーソナリティーの存在を知らずに一生を終える人がほとんどです。大半は「今の自分が感じていること」という認識で済まされるでしょう。
でも、この存在を知るチャンスはいろんな場面であります。最も大きなチャンスは、
「子どもを持った時」です。
感情や思考の核は、自らが親になった時の子どもへの対応や感情に強く反映されます。頭では「本当はこんなことしたくないのに…」と理解しているのに、言動は全く違う反応をしてしまうこと…。先のエピソードで書いた、お母さんが幼い我が子の行動に強く怒りを感じて心無い態度を取ってしまう…というような状況です。あのお母さんはきっと子どもと楽しく笑顔で過ごしていたいはずです。
子どもの頃に経験したことが本人にとって辛く苦しいことであればあるほど、コアパーソナリティーがしまいこんでいるパンドラの箱に入れられ、大人になると見えなく分からなくなります。パンドラの箱の存在は本人ですら気づけないのですが、箱から放たれる感情の波はどんな思考よりも強く、本人を言動から人生までを振り回します。
だからこそ、最も分かりづらくコントロールできないのが『自分』ということなのでしょう。
私は子どもを持ったことでパンドラの箱の存在を知る機会を得て、長い年月をかけて自分で自分を育てなおしました。結局、子育てを通して最も助けられたのは私自身だったということに気づき、人生の後半に入ってようやく大人へと成長できたのです。この幸運に感謝せずにはいられません。
私は長いこと『最幸の子育て』、最幸の家族のカタチを探していました。なにか明らかにできるものがあるのではないかと…。
いま、子育てを終えてやっと…私なりに一応の答えを見出せたような気がします。
『最幸の子育て』に必要なもの、その答えは…
親であるわたし自身の心が満たされること
です。
この意味がそのまま『最幸の子育て』に繋がるものだと私は思います。
令和6年某日。小春日和の窓際で我が家の愛猫をなでながら、私はこの経験をアウトプットしたいと思い経ちペンを執ることにしました。ココサポ・プログラムが続けられたのは参加してくださったたくさんの方々のおかげです。感謝の気持ちを込めて、できるだけありのままの気持ちに忠実に書いていきます。
ご意見やご感想などがありましたら、コメント欄やメールでお寄せくださると嬉しいです。
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