童話『はじめての木登り』
ある森に親子のサルが暮らしていました。
母ザルは子ザルのことをそれはそれは大切に育てています。生まれてからずっと胸に抱き、子ザルは好きなだけおっぱい飲んで、母ザルの温もりに安心しながらすくすく成長していきました。
やがて、子ザルが一人で木登りができるほど成長していることに気づいた母ザルは、この森で一番大きくて優しいモンキーポッドの木の前に子ザルを連れてきました。そして、子ザルに向かってこう言いました。
「母さんがここであなたを見ているから、この木に登ってごらんなさい」
いつも母ザルの胸にしがみつきながらこの木に登っていた子ザルは、母ザルの思いもよらない言葉に驚きました。
「え?ボク一人で?」
「そうよ。あなたが一人で登るのよ。この木はあなたを優しく見守ってくれるから安心して」
ひとりで木に登ったことがない子ザルは不安そうな顔で気を見つめました。すると木の枝がサワサワと動き出して、
(さあおいで。ワシはお前が手を出そうとする先に小さなコブを出してあげよう。お前の小さな手でつかめそうなコブを探して、それを握りながら登るんだ…)
モンキーポッドから声が聞こえてきました。
母ザルから離れるのが初めてで怖いけれど、木から優しい声が聞こえてきたので、子ザルは少し勇気が出てきました。
「大丈夫かな?母さん、本当にずっと見ていてくれる?」
「もちろんよ。落ちそうになったら母さんが助けてあげるから安心して。さあ、登ってらっしゃい!!」
そう言うと、母ザルが子ザルの手をしっかり握ってくれたので、子ザルはなぜか自分は上手に木に登れそうな気がしてきました。
「母さん、ぜったいここにいてね。ずっとボクのことを見ていてね!」
子ザルは母ザルの胸を抱えていた腕をそっと外して、一人で地面に降りると、目の前の大きな木に手をかけました。
「よいしょっ…」
子ザルが木に向かって手を伸ばそうとすると、幹から小さなコブがひょっこりと出てきました。子ザルの手で掴むにはちょうどいい大きさです。
右手…左手…少し登って後ろを振り返ると、母ザルが優しく笑いながら子ザルを見ています。
「上手ね。その調子!」
木から伝わる温かさと母ザルの笑顔に安心した子ザルは、どんどん上に登っていきます。
「坊や、ちょっと止まって周りを見てごらんなさい!」
声のほうに目をやると、木の下にいる母ザルがとても小さくなっています。それでも優しい笑顔は子ザルからよく見えました。
子ザルは手を止めて自分の周りの景色を見ました。
果てしなく広がる森。吸い込まれてしまいそうな透き通った青い空。流れる雲。木から木へと飛び移る鳥たち…。子ザルはこの世界は自分が思っているよりもずっとずっと広いことを知りました。
ブーン…
子ザルの耳元を小さな虫が通り過ぎました。七色の羽を広げた不思議な虫です。子ザルはこの虫を捕まえようと慌てて右手を伸ばしました。
…すると、
「ワァッ!」
子ザルはバランスを崩して、体重を支えていた左手が木から離れてしまいました。
「ワァーッ!」
高い木の上からまっさかさまに落ちていきます。子ザルは怖くて目をギュッとつむり、そのまま気を失ってしまいました。
気がつくと、子ザルは母ザルの腕の中にいました。子ザルが落ちそうになったのを見た母ザルが慌てて木を登り、途中の枝で待ち構えて子ザルをキャッチしたのです。モンキーポッドの木が子ザルを助けやすいように枝を伸ばしてくれたのです。
「母さん…」
子ザルは夢を見ているようでした。温かくて安心できる母ザルの体を両手で強く抱えると、
「ボク…木の上できれいな虫を見つけて、それを捕まえようと思って右手を伸ばしたんだ。そうしたら、左手が木から離れちゃって…」
というと、子ザルの目から涙があふれてきました。
母ザルはその涙をやさしくぬぐうと、ギュッと強く子ザルを抱いて、
「よく頑張ったね。これであなたは一人前のサルだわ」
そう言うと、子ザルのおでこに優しくキスをしました。
子ザルを抱えた母ザルが立つ枝は母ザルが腰かけられるほど太くなっていました。母ザルは
「ありがとうございます」
とモンキーポッドにお礼をいうと、小さな枝がサワサワと揺れる音と共に、
(坊やよ。ワシに登って見た景色を覚えているかい?知らないことだらけの広い世界は、お前が知りたいと思ったらいつでも見ることができるのじゃよ)
という声が聞こえてきました。
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前回、『最幸の子育て』というタイトルを付けた思いをお伝えしましたが、少し補足しなければなりません。
親であるわたし自身の心が満たされること
この言葉には重要なものが足りません。何だかお分かりですか?
わたし自身の心が「何によって」満たされたらよいのか、が書かれていません。ですから、この一文は理解できるように思えて実は腑に落ちることはありません。そして、この「何によって」がとても重要になりますが、簡単に説明できないものでもあります。
このことについて考えたいと思い『はじめての木登り』という物語を書きました。
何を思いながら書いたのか?を少しだけ挙げてみると、
◆赤ちゃんの頃は…
・子どもが安心の中に包まれること
◆成長にともなって…
・少しずつ親から離れる場を作ること
・小さな挑戦の機会をつくること
・子どもだけが見られる世界を提供すること
・親以外で安心の場をつくること
・子どもの好奇心、勇気、挑戦を認めること
ほかにも気づいたことがありましたらぜひ教えてください(笑。
子どもの乳幼児期だけをとっても、いろいろなことに遭遇します。ケガをしたり、病気になったり、とんでもないイタズラやハプニングが起きたり…。
そのような中で、『落ち着いて』『大らかに』幸せを感じながら子育てができる…と思いますか?
私だったらこう答えます。
「No!子育て真っ最中のママが常に心穏やかできられるわけない!」と。
学校の教科なら事前にしっかり勉強すれば100点が取れる(私の場合はこちらも無理です…)かもしれません。事前に何が起きるか(出題されるか)分かっていて、その対策をすべて打っていれば対処できるもの…が学校での学びだからです。でも、子育ては違います。子育ては最も親密で、かつ、最も親の心の状態が刺激される人間関係なのですから。
だからこそ、まず親自身の心が満たされていないと難しいのです。
イライラしてカッとなったり、(今の言葉で)「ウザッ」と思ったり、モヤモヤしたり、瞬間瞬間で親の要望を強いてしまったり…。
自分の思い通りにならない子どもに、家族に、はたまた世の中に…不満をためては心の奥底に押し込んで、ときどき爆発しては自己嫌悪…。そんな苦しい状況に追い込まれた経験のある方はいませんか?
私自身も子育てを始めたばかりのころは、このような負の感情に揺さぶられていました。心から優しくなんてなれない。穏やかな時間なんて夢のまた夢。子どもに向けた笑顔が作り笑顔だったこともあります。
子どもを持つということは最高(ここでは「高」を使います)の幸せだと言われているのに気持ちは「サイテー・・・」。モヤモヤがグルグル渦巻いて、イライラが沸々と煮えたぎり、それを感じると自分を責め、誰のせい?何のせい?と周りに不満を抱きました。
子育てから発生した負の感情はやがて、自分が子どもだったころの気持ちにもリンクして、さらに自分自身を苦しめます。子どもにとってよい行動をしようと思えば思うほど、抗うようにモヤモヤの感情が噴き出します。そしてある日、ハッとするのです。
わたし…(子どものころから)、満たされていなかったな…と。
この衝撃の事実について真正面から向き合える人はそう多くありません。なぜなら、人の尊厳にかかわるほど強く大きなネガティブパワーだからです。
実は、ココサポ・プログラムで扱うものは結果としてこのネガティブパワーになります。ただし、数回の受講でそれらが解消されることはありません。何年も…何十年もかけて自分を守るために苦しみを封じ込めていた幾重もの鎧の薄皮を1枚1枚剥がしていくような作業をします。こんな辛くて苦しいこと…誰だってしたくありません。知らないこと、無かったことにしてしまえばいい…それでもいいのですから。
でも、この作業を続けてきた人、つまり、見たくないものに対峙する勇気を持った人は、必ず新しい世界を手に入れています。これらの経験が愛おしく、「世の中ってそう悪いことばかりではないな…」と心から思える(先の物語でいえばモンキーポッドの存在)ようになる。心の奥から湧いてくる感謝を感じた時から自分が本来、見るはずだった世界が姿を現します。
わたしは、この世界の中に見えたことのひとつとして今回の連載を始めました。
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