こんにちは!学ぼう会のおかもとです。
この冬は例年にない暖かさだと思っていたのですが桜の開花は遅いようですね。
我が家がある敷地の桜の木は少々せっかちなのか、ぽつぽつと薄桃色の花を咲かせていました。
3月が終われば新年度、新学期。
さまざまな区切りの印のように桜が活躍しますね。
さて、今回は連載vol.5になります。初めてこの記事を目にされた方は以下のもくじから順を追ってお読みください。
~もくじ~
ルールや制度が細かく定義され平和で優しくなったようで、なぜか誰もが生きづらい世の中になりました。
生きづらさの解消を目指した世の中のルールの一つとして、さまざまな人間関係において、だれかが不快に感じたり傷つけられたと感じたらそれを『ハラスメント』と定義して、防止することが求められています。
そのなかのひとつ、親子関係におけるパワーバランスについて今回は考えてみます。
人間は非常に未熟な状態で誕生する生き物なので、誰かの助けや養護がなければ生きることができません。
通例であれば、この世に誕生すれば親に養育してもらうわけで、この時は圧倒的に親が「強者」であり、子どもが「弱者」という関係性になります。
子どもが生き抜くには親の養育が必要なので、子どもにとって親は絶対的な存在です。本能としても親に対する愛着を求めるものです。
強者に従わなければ弱者は生きていけないことを分かっています。この条件の中では関係のイニシアティブ、つまり主導権は強者が握っています。この立場を利用すると、強者はいくらでも弱者に対して、自分の考えや要求を強いることができます。
大なり小なり、親子関係においては強者である親の意思を通すことになるでしょうが、このバランスが偏り過ぎる…とどうなるかについて考えてみます。
親子の場合、子どもの要求に耳を貸さず、とにかく親にとって都合のいいい要求を子どもに強いるというような状況があります。ほかにも、子どもに対して理解があるふりをして、結局は親の要求や意見に誘導していく…というパターンもあります。
子ども都合のリクエストや自発的に何か「やってみたい」ことがあるとします。
この時、意志が強い親がいる場合、親の反応がすでに分かっているので意思表示することはありません。そのうち、始めから自分の中に生まれた願望に意識を向けることを諦めて、「親が喜ぶこと」「親が認めていること」を判断基準において行動するようになります。
こうして時を重ねると、「自分は何をしたいのか」が解らなくなります。
一生、親と一緒に生きていくのであれば、それはそれでいいのかもしれませんが、子どもはいずれ独立するものです。独り立ちしたときに「あなたがしたいことは何?」と聞かれて、すんなりと答えられない…その時、自分自身を遠くに置き去りにしてきたことに気づくことがあります。
一方で、大半はその原因に気づかず「自分は無趣味で、だれかが喜ぶことをすればよくて、特にやりたいことがない」と自覚するようになるでしょう。
または、何が何だか分からないけれど「なにか夢中になれるものごとに出合いたい」と迷走しつづけるかもしれません。
さて、話を少し戻します。
大なり小なり、しかるべき時期に親にきちんと反抗ができた人は「自分の意見や主張を親に言ってもいい」親子関係にあったと言えます。
反抗期にいがみ合ったりケンカしたりすることを「いけないこと」だからと我慢して良好な関係を維持しようとしたり、「自己主張して(ショックを受ける)(不安になる)親の顔を見たくない」と意思表示を避けたりする子どもは、親にとっては「良い子」として受け取られるので、子どもとの関わり方に悩むことなどないでしょう。それどころか、うまく子育てができていると思うかもしれません。
実は、ここがとても重要です。
さんざんぶつかり合って、互いに傷つけあっても正直な気持ちを言いあえたということは、『どんなにぶつかってもけっして壊れることのない信頼』の上に成り立つものだと思うからです。そして、互いを全く違う人格であることが受け入れられると思うからです。
心身が成長し、親との力関係の差がなくなってくると独り立ちへの入り口となる反抗期が来るのは当然のプロセスです。
この時、親の考えがすべてではないことを知り、世の中は広く多様であることに意識し始めて、親とは全く関係ない所で自分の選択をしたいと考えるようになります。
ですから、思春期や反抗期にありがちな親への反抗や暴言は「自立へのサイン」だと歓迎することでしょう。お赤飯を炊いてもいいくらいです(笑。
「じぶん」を持ち始めて、自分の人生を生きていこうという意欲を持ち始めた…ということなのですから。
この大切な時期にさらに親の力を子どもに強いていくと、大きく分けて2つのパターンになるでしょう。
ひとつは、親に自分のことを話さなくなる、言わなくなる、ということです。
自我を持った一人の人間として、あれこれ口出しする親をうっとおしいと思うのは当然です。親の性格、考え方、価値観…子どもはぜんぶ知っています。自分がこう言えば「ああ言うだろう」、これを言ったら「怒るだろう」「反対するだろう」「心配するだろう」…ぜんぶ知っています。反応や答えが解っているのにあえて面倒なことを起こしたくはありません。実は、子どものほうが賢いのかもしれませんね。
もうひとつは、親がいろいろな意味で絶対的な存在でありすぎると反抗する気も起きず、ひたすら親が喜ぶことに意識を向け続けるというパターンです。
このような一見「良い子」は、すでに自分がどう行動すれば親が喜ぶかを熟知しているので、良好な関係性の中に身を置くことを無意識的に選びます。少しずつ芽を出す自我はときどき「気づいて!」というメッセージを出しますが、従来の自分が「これがベストな方法」だとたしなめるのです。
私の話を少しします。
母は自分の考え方が「絶対」という信念が強い人でした。あまりに強いので、幼いころから、母が嫌がること、認めないことは熟知していました。
一方で、私の自我はちゃんと「育ちたい」と思っていたようです。思春期を過ぎたころから、私は自分のことを全く話さなくなり、高校で親に学校の行事にしぶしぶ参加してもらったのは高3の三者面談の時だけです。この時、初めて私の志望校を知った母は、家に戻ると「そんなの(学部)はダメ」と言いました。理由は、「そんなこと勉強して(将来)食べられないでしょ」。
とにかく、私が自分の希望を出すとことごとく却下されてしまうのは解っていました。反抗する気も起きません。なぜなら、母が何かにつけて言う決定的な台詞「育ててやっているんだから」という言葉に自分の無力感を感じて、結局、母がいうとおりに従ってしまうからです。このように、私は自分の希望など聞いてもらうことがなく、母の判断ですべてが決められてしまう生活が辛くなり、「はやく家を出たい」と思うようになりました。…結果、社会人になって、初めて自分の選択を通そうとしたタイミングで独立したのです。
一方で、父がケガで入院したり、母自体が病気で入院したりという状況になると、家族の中でひとり張り切って家のサポートをしました。役立つ子…であることで自分がこの家族の一員でいられると思っていたのです。結果、独立して結婚しても家の事をするのに何も困ることがなかったのは良かったことだと思っていますが、結果、私が生まれたこの家族における役割になりました。
長くなりました。
時は流れに流れて、親が高齢になり、自分で自分のことをするのが困難になると、このパワーバランスがいきなりひっくり返ります。
この一連の経験を自分の人生に活かすこと…自戒を含めてできていることは、私のこれからの人生にとって大切なものだと痛感します。
今、私の子どもは成人を過ぎています。
小さな手を引いて、子どもの歩くペースの遅さに少しイライラしていたのも束の間、今では、一緒に歩いているとさっさと先に行ってしまい私は息が切れてついていくので精一杯です。
子どもはやがて親に追いつき、簡単に追い越していきます。
子どもにはすっかり敵わなくなってから気づいても遅いのです。
強者であった親がパワーを強いていればいるほど、パワーバランスがひっくり返ったときの関わり方に、親も子も苦労します。
手のひらを返したように従順になった母に、「優しくなったね」と目尻を下げて接することができるほど、私は大人に成れていませんでした。
母が甘えれば甘えるほど、甘えさせてもらえなかった子どもの頃を思い出しました。
それでも「気持ちよく見送ることが親孝行」だと言い聞かせ、日に日に子どもに戻っていく母を、私は自立した一人の人間として接しようと常に自分に言い聞かせています。
この感覚はどこかで前にも経験したな…。
あぁ、これは「育ててやったんだから」と言われたとき、「そうだな…育ててもらってるんだもんな。仕方ないな…」と自分に言い聞かせ、グッと涙をこらえていた子どもの頃と同じ感情でした。
ただ、ここで終わらせない新しい自分もいます。
今は夜、ひとり布団に入った時に必ず
「私はよくやっているね。頑張っているね」
と労い褒めることにしました。
親に褒められたことが無ければ、自分で褒めればいい。
自分のことを心から愛しみ認めてあげるこの一連の儀式をすれば、胸の奥で感じるキリキリとした痛みは消えていきます。
親と子のパワーバランスは必ず変わります。
私と子どもとの間には大きな傾きなどなく、できれば平行なバランスを保ちたいと思いつづけてきたのは、自分の育った環境が大きく影響しているのでしょう。
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