こんにちは!学ぼう会のおかもとです。
桜がようやく咲いたと思ったら、あっけなく花吹雪が舞い始めました。
時の流れは速いものです。うつろいを変化への期待に変えて新しい季節を楽しみたいです。
さて、vol.7を更新します。
※初めてこの記事を目にされた方は以下のもくじから順を追ってお読みください。
~もくじ~
互いに自己主張すれば摩擦が起きます。
摩擦が起きればパワーバランスによって強いほうが弱いほうを抑えこみます。弱いほうはフラストレーションを溜めます。
時が経ち、我慢が耐えられなくなると、内(自分自身に対して)か外(周りの人々に対して)に向けた爆弾の導火線に火を点けます。
外に爆発を起こす人は、ある日突然、これまで溜め込んだ怒りを相手にぶつけて、徹底的に反撃したり、距離を置くためにこれまでの関係を大きく変えたりします。相手のほうがショックを受け傷つくでしょうが、溜め込んだ感情の放出という意味ではまだましかもしれません。パワーバランスの逆転による場合もあるでしょうし、本人に環境を大きく変えられるという希望と力があるということですから。これで両者がやっと同じ場所に立ち、大きくぶつかって、新しい関係性を構築し直すチャンスがあります。
問題なのは、内に爆発を起こす場合です。
自分自身に爆弾を投げ込むということは、つまり、自分自身を破壊しようとすることになります。心を病んだり自分自身を傷つけたり…病気になったり…。怒りや不満の原因はもともと相手が作ったものなのに、環境を変えられない無力さや怒りの根っことなる悲しみを溜めた自分に嫌気がさして、自分で自分を責めるのです。
導火線を自分に向ける手は「優しさ」という名で表現されます。
誰も傷つけたくない…。良い人間でなくては…。
善良に生きようと心がけ、何事も「自分のせい」だと思って事態を収束させてしまう優しさが、溜め込んだ感情をまっすぐに相手にぶつけることを回避させ、自分を傷つけるという行動を起こすのです。
他人は変わらない。だから自分が変わればいい…。
これは、正しいことを言っているのでしょうが、優しさにしがみつくと、結局、自分を責めて傷つけて、放出させたかったフラストレーションをさらに大きくさせてしまうのです。
自分を傷つける行為は…優しさでしょうか?
私は長いこと『自分を変えることで世界は変えられる』の本当の意味を分からないままでいました。
学び、自己に向き合えばそれが叶うと思っていたのです。確かに、一時的に救われた感覚になりますが、それだけではどうにも拭えない『フラストレーションを抱えたわたし』が心の奥に居座っていたのです。
「言いたいことを全部、吐き出してみて!」
初めてそう言われた時、私はすでに全部、吐き出せていると思っていました。もうこれ以上、出せるものがないと思っていました。
ところが、この質問はさらにこの言葉が続きます。
「自分で自分を説得させないで。暴言でかまわないから、あなたが溜め込んでいた怒りや悲しみを全部、掘り起こして出してみて」
「それは、日常の何気ない出来事から生まれるイライラやモヤモヤに関することからでかまわない。なぜ、イライラするの?なぜ、モヤモヤするの?…この出来事に本当は何て言いたい?どう思ってる?」
私がしどろもどろに答えていくと、どんどんその問いは深められ、信じられない感情が出てきました。
「毎日の生活の中で、いろいろなニュースを見たり、出来事に遭ったり、人に会ったりして…そこでイライラやモヤモヤを感じたら、それはあなたが見た対象によるものだからではなくて自分の中に在るものなの。自分の中に在るから揺さぶられるの。例えば、児童虐待のニュースを耳にして、それはひどいことだと思うのは当然だけど、感情が揺さぶられて頭の中がいっぱいになるのなら、それは、あなたの中に、傷つけられた子どもの頃の自分の怒りや悲しみが揺さぶられているからかもしれない。そういう根っこの感情に気づけば、もうイライラやモヤモヤはほとんど感じなくなるの。そりゃ、残念なニュースは多いけれど、“世の中は、そういうこともあるんだな”って冷静に受け止められるの。そうならずに、感情が揺さぶられているということは、あなたの心の中にその原因があるの。あなたが“相手が悪い”…と思うようなことでも、それはあなたの中に在るの。」
この問いかけは私を大きく変えました。
自分の内面に起きる感情の変化を観察し、引っかかるものに出合ったら、自分の内面を深く掘り下げて、『揺さぶられる原因となった私』を探し出すようにしたのです。
探し出して向き合って声に耳を傾けて、存分に話を聞いてあげました。(実際には、紙に書き出しました)自分の中から出てくることなのに、驚くような思いや感情がありました。
それらは暴言だったり、身勝手でネガティブな内容だったりすることが多く、ふだんの私の中から出てくるはずもないと思っていたものばかりでした。
これは、存在してほしくないモノや汚いゴミを引き出しの奥に詰めこんで、手前には綺麗な物を並べていた…そんな感じでしょうか。
できれば優しくありたい…誰も傷つけたくない…傷つくことは辛いから、悲しいから…。そうやって、優しさという名のフタをして、本来の自分の感情に向き合うことから逃げていたのです。
優しさは逃げだったのです。
聞き分けがいい。優しい…この言葉を聞いてダメだしする人はいないでしょう。良いことです…世間では褒めてくれます。
でも、少し待ってください。
聞き分けが悪くて、身勝手な自分も私の中に確実にいるのです。その存在を『悪』とせず、それもひっくるめて自分自身だと愛しむことができてようやく、私の心の奥の引き出しがきれいに整い始めたのです。
キレイに生きなくてもいい…そう思ったらとても楽になりました。
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